舞う者
                                                         執筆者・きさと


 その日は夏のジャパンにしては乾燥した気候で、誰もが過ごし安い一日を送っていた。ジャパンは古来より湿気の多い土地であったが、その日は心地のよい爽やかな風が吹き、今日は何の事件もない。そんな気持ちにまでさせる天候であった。

 そのせいだろうか。一日の終わり、美しい夕方に人々が胸を打たれている時に、冒険者ギルドへ飛び込んできた巫女の話は、瞬く間に江戸の町へと広がっていった。

「私がお仕えしている社にある小祠が壊されて、そこに祀っていた竜神が邪悪な竜蛇となって蘇ったのです!」

 汗を拭いながら、太った巫女は鼻息を切らせながらギルドのマスターへと語った。まるで肉の固まりのようなその姿、大地から響くような低い声からして、巫女はどう見ても男じゃないか、と思われるのであったが、今はそんな事を問題にしている場合ではなかった。

「竜蛇は、まわりの人々に危害を加えているの?」

 今日張り出された依頼の一覧に目をやりながら、アゲハ・キサラギがその巫女らしき人間に話し掛けた。

 アゲハはジャパン人のような外見をしているが、ジャパンの生まれではなかった。ジプシーとしてこのジャパンで日々活動をしている少女で、体つきは細く、ジャパンの着物のデザインをあしらった踊り子の服を着ており、今日も何か良い依頼はないかと、ギルドに足を運んでいるのであった。

「はい。まだ被害者は出ておりませんが、すでに近隣の畑が荒らされたり、民家の一部が倒壊したり。いつ、被害者が出るとも限りません。どうか、冒険者の方々、あの竜蛇をどうにかしてくださいませ!私は、もう怖くて怖くて!!」

 巫女は見ただけで暑苦しいと感じるその顔に、大粒の涙を流しすすり泣いていた。アンタの顔の方が怖いんだけど。とアゲハは喉まで出掛かっていたが、寸前の所でそれを我慢し、今は両手で顔覆って泣き続けている巫女に語りかけた。

「小祠に祀ってあったって事は、昔、その竜蛇を誰かが封じ込めたって事?」

 アゲハがそう尋ねると、巫女は顔を上げ、江戸中に響くのではないかという音を立てて鼻をかみ、アゲハに近づき、真剣な表情を見せた。

「はい。まだ、鎌倉に幕府があった頃、高名な旅の法師が、この土地でしばらくの休息を取っておりました。その時、あの竜蛇がどこからか出現し、まだ田舎であったこの土地で暴れ、人々を大変に苦しめておりました。その事を聞きつけた法師が、その神通力で竜蛇と戦ったのであります」

「ふうん。で、それで竜蛇は封じ込められたってわけだね?」

 巫女が近づいてくるので、アゲハは一歩後ろへ下がりながら、話を続けた。

「いえ、その竜蛇の力があまりにも強大で、法師は危険な状態にさらされてしまったのです。その時に、法師と一緒に旅をしていた少女が舞を竜蛇に見せたのです。少女は神に仕える舞師で、魔力を持ったその踊りを見せると、竜蛇は大人しくなり、最後に法師が念力で竜蛇の頭をつつくと、竜蛇はたちまちのうちに小祠に封じ込められたらしいのです」

 涙なのか汗なのかわからない顔の水の玉を拭いながら、巫女がアゲハの顔を穴が空くほどに見つめていた。

「じゃあ、早くその竜蛇を封印しないといけないね。いい人がいるといいけどね」

 アゲハはあまりにも巫女の顔が恐ろしかったので、もう一息で、懐にあるナイフで、思わず巫女を刺してしまいそうであった。だから、話に関わらないうちにギルドから出ようと思ったのだ。しかし、いつのまにか、ギルドは冒険者らしき人でいっぱいになっていた。おかげで、外へ出ることも出来そうにない。

「大変な事になったな。早く、そいつをどうにかしないとな」

 人々の視線は、巫女とアゲハに向けられていた。

「踊りを踊れるヤツが必要なんだろ?だったら、あの子が適任だよな」

「え、それ、ボクの事?!」

 噂はあっという間に江戸の町へ広がっていったらしく、冒険者だけでなく、一般市民までが、ギルドの中へ立ち入ってアゲハの事を見つめていた。中には、窓から覗いている者までいた。

「でもボク、まだ冒険者としては経験も浅いし」

「お願いします、どうか私達をお救いくださいまし!見ればあなた様は踊りを得意とするジプシー。武士や僧兵ばかりのこの国で、あなた様のような方の存在は貴重です。どうか、どうか!」

「頑張れよ、お嬢ちゃん!」

「冒険者としての経験を積む、いいチャンスだぜ!」

 まわりの冒険者がアゲハをはやしたて、巫女は握りつぶさんとばかりにアゲハの手を握り締めている。手を握られ、まるで罠にかかったキツネのように身動き出来ない上に、この状況でもはや、嫌です、とは言えず、アゲハはその日のうちに無理やりかごに乗せられ、巫女の案内の元、竜神の祠がある江戸郊外へと向かった。カゴを持っているのは、ジャパン人とは思えないほど逞しい筋肉を持った男であったが、そんな事はもはやどうでも良かった。

 江戸郊外に到着した時は、すでにあたりは暗く、空には針のような細い月がかかっていた。カゴから降りたアゲハは、あたりを見回した後、空を見上げた。そこには、江戸の中心地では決して見る事の出来ない美しい星空があり、耳を澄ませば小川のせせらぎ、秋の虫の声までもが木霊し、アゲハは一瞬、何をしにきたのかも忘れてしまうほどに、自然の奏でる澄んだ音に聞き入っていた。

「どうぞ、私について来て下さい」

 闇の中に、巫女の肉の塊のような顔が出現したので、アゲハの幻想的な世界は一気に崩されてしまった。

「今日はもう夜遅いですからね。あなた様もお疲れでしょう。社のそばに小さな宿屋がありますので、そちらへご案内いたします。そういえば、まだあなた様のお名前を伺っておりませんでしたね?」

「アゲハだよ。アゲハ・キサラギ」

「そうですか。可愛らしいお名前ですね。その名前の通り、大地を舞うアゲハ蝶のように、素晴らしい踊りを踊られるのでしょうね」

「ま、まあ、ジプシーだからね」

 アゲハはそう言われて、何となく照れくさくなった。

「ほら、そこの家についた傷。あれも、竜蛇の仕業なのです」

 巫女がアゲハの丁度右手奥にある一軒の民家を指差した。その民家の入り口から屋根にかけてもぎ取られたような傷跡があり、屋根は半壊状態になっていた。家の中は真っ暗である所から、住人は別の場所へ行かざるを得なくなったのだろう。

「あんな傷跡を?村の人達、ここにまだ残っているの?」

「いえ。さすがにいつどこで竜蛇が襲ってくるかわかりませんので、村の者はほとんど、隣の村へと避難させております。私と、神主様、そして数人の若い男がここへ残り、竜蛇の出方を見ているのです」

 巫女に連れられて、アゲハは一軒の家へと入った。まわりの家よりもひときわ大きい所をみると、村長等の、少し高い役職の人物の家なのかもしれない。

「神主様、冒険者を連れて参りました!ジプシーの方です。踊りを踊る事が出来る方です!」

「その子がそうなのか?まだ、子供じゃないか」

「いきなり失礼な人だなー!無理やりこんな所に連れて来られたのに。ボクは、そんな事言われる為に、ここへ来たんじゃないんだからね?」

 神主は、目を細めて、アゲハを見つめた。白いひげを蓄え、強い風が吹いたら飛んでしまいそうなその老人は、黙り込んだまま巫女に視線を向けた。

「この私が選んだ者なんですよ。必ず、ここをお救いくださります。もし、そうならなかたら、私は竜蛇の生贄にだってなりますとも!」

 いや、アンタじゃ、さすがの竜蛇も即返品するだろう、とあやうく声に出してしまいそうになったが、アゲハはそれを心の中で言うだけにしておいた。

「しかし、いくら神の踊り手でも、この子は若すぎる」

 神主がひげを触りながらそう言った時、突然家が揺れて、棚の上においてあるものが一斉に床に落ちた。アゲハも、立っていられないほどの揺れに、思わず転倒してしまった。

「地震?!」

 窓から外を見つめ、アゲハは叫んだ。

「いえ、ヤツが来たのです!」

 巫女の顔は、すっかり血の気を失ってしまっていた。神主は、突然の出来事に腰を抜かしたのか、床に尻をつけたまま、ほとんど身動きしなかった。

「アゲハ様、どうか、私達をお助けください!」

「ちょっと待ってよ、まだ何にも準備が出来てないんだから!」

 窓の外を何か黒い塊が横切ったような気がした。揺れはようやく収まったが、巫女も神主もまるで魂が抜けたように、まったく動かなかった。

「ボクは、その竜蛇の姿や大きさも、よく知らないんだからね?これじゃあ、あまりにも無責任じゃないのさ!」

 しかし、アゲハはそこで言葉を止め、息を飲んだ。冷たく、得体の知れない不安感を感じた。

「別にボクはここに来たいわけじゃなかった」

「見慣れない顔だな。江戸から来たようだな。名前はアゲハか。なるほど、踊りを生業としている、か」

 アゲハは、背中に汗が流れ落ちるのを感じていた。

「この私を封じようっていう魂胆だな。そうはいかない。私も、もう何百年もあの中にいたのだ。暴れても、暴れ足りぬ」

 竜蛇の名が相応しい。緊張の中、アゲハはそれを見て感じた。

 濁った泥水のような色の体は、見ただけでも硬そうだと感じる角ばった鱗に覆われていた。巨大な蛇を思わせる体には、しなやかな筋肉で出来た手足がついており、爪はナイフのように黒光りをしていた。顔は蛇のように長く、頭に亀裂のような傷跡があるが、おそらくかつてこの竜蛇を封じた法師によって出来たものなのだろう。口には動物の骨など簡単に砕いてしまいそうなほどに鋭く尖った牙が並んでいた。目は真っ赤で見るものに無気味さを感じさせた。

「そんな事ボクには関係ないからね。とにかくボクは、キミを倒さないと江戸に帰れないんだ。さっさと消えてよね!」

「ならば、私にとってお前は邪魔というわけだな」

 竜蛇がそう言ったと思った瞬間、アゲハの横の壁に深い爪あとがついていた。

「アゲハ様!」

 後ろから男の声が聞こえた。声からして、おそらくは巫女だろう。その声には張りがなく、すっかりと怯えきった声であった。

「危ないなー!余計な事しないでほしいよ!」

 竜蛇に臆している姿は見せてはいけないと、アゲハは心の中でつぶやいていた。竜蛇がその爪で横の壁を引っかいたところなど、アゲハの目に留める事すら出来なかった。アゲハが想像していた以上に、この竜蛇は強敵ということを、少しずつ体と心で感じ取り始めていた。

 だからといって、もう後に引く事は出来ない。このまま逃げ去るという選択肢も、ないわけではないだろう。しかし、アゲハはその選択肢を選ぼうとしなかった。何も、ここで逃げるのが格好悪いとか敵に背中を向けたくないとか、そういう意味ではない。自分よりもはるかに戦闘能力の高い竜蛇から逃げる事は不可能だと、冒険者としての本能が、アゲハにそう感じさせていたからだ。ちょうど、猫がネズミをいたぶるように、竜蛇にとっては、アゲハはちっぽけな生き物のひとつに過ぎないだろう。そんなアゲハを、竜蛇が捕らえて命を絶つ事など、容易い事かもしれないのだ。しかも、今は夜なのだ。太陽の見えていない時間に、アゲハの得意とする陽魔法を使う事は出来ない。

 勝ち目がないかもしれない。アゲハは心の奥底でそう感じ始めていた。

「アゲハ様!恐怖を捨て去って下さい!あなた様の踊りを見せるのです!かつての舞師のように、魔法の踊りを!」

 簡単に言うけどさ!巫女に対しての言葉も、もはや出す事が出来なかった。竜蛇への恐怖心でいっぱいになり、言葉を出そうとしても、やっと口から小さく息が出るだけであった。

「醜い巫女など、いなくなってしまえばいい」

 竜蛇は、アゲハの頭上を通り越し、巫女の前に舞い降りた。恐怖でいっぱいになった巫女の顔色が、みるみるうちに蒼白になったと思っているうちに、巫女は竜蛇の両手で捕らえられた。

「アゲハ様!!」

「その人を離せ!ボクがキミの相手なんだからさ!」

 頭では何も考えていなかった。いや、ただひとつ考えていた事は、とにかく竜蛇をどうにかしなければ、という事であった。

 アゲハは舞を踊った。祖国に伝わる踊りを、緊張をしている事も意識しないぐらいに、ただひたすら、懸命に踊った。

 シプシーの踊りには魔法がかかっている。その踊りを、古来より神や精霊に捧げてきた。今、アゲハが踊りを捧げているのは、竜蛇という邪な存在。それにこの神聖な踊りなど有用するかわからない。しかし、やるしかなかった。同じ結果になるならば、何かをやらずにいるよりは、やった方が何倍もいいと、アゲハは思った。

「ほう、踊りか。なかなか見事なものだ」

 竜蛇がそう言うのを、アゲハは意外に思ったのだ。こんな凶悪な竜蛇が、自分の踊りをただ大人しく見る事が、信じられなかった。

「懐かしい。あの時も、お前のような娘が、私に踊りを見せたものだ」

 アゲハは踊りを続けた。手を空高くにあげ、手をまっすぐに伸ばしたかと思うと、腕を下げて何度も回転をする。

 だんだん、息が切れてきた。それでも、踊りをやめる事は出来ない。息が止まって心臓が動かなくなるまで踊ろうと、アゲハは思っていた。

「いやーーー!!」

 その時、突然巫女が不気味な悲鳴を上げ、懐から神札のようなものを取り出し、竜蛇の頭に貼り付けた。

「それは、あの法師の!」

 それが、竜蛇の最後の言葉であった。あれほどまでに強大だと思っていた竜蛇の体はたちまちのうちに小さくなってゆき、数秒後には置物のように動かなくなってしまった。

 あれだけの邪悪な魔物が、こんなにあっさり消えてしまっていいのだろかと、アゲハは拍子抜けしていたが、やっと戦いが終わったと思った瞬間、全身の力が抜けて、床に座り込んでしまった。

「年齢じゃないようだ」

 神主は動かなくなったアゲハを見つめつつ、そう呟いた。神主は素直な性格ではないからかもしれない。本当はお礼を言いたいが、プレイドのせいで本人に言うことが出来ない、そこまで感じた。

「アゲハ様、有難うございます。私、アゲハ様がいらっしゃらなかったら、あそこで人生が終わっていたかも」

「ボクは、踊っただけだよ」

「いえ、あなた様の踊りで、竜蛇を引き付け、動きを止める事が出来たのです。私、無我夢中でしたしね」

「だけど、なんであれだけでアイツは?」

「それはよくわかりません。いえ、心当たりならありますが。まずはアゲハ様、ゆっくりお休みしてください、お疲れでしょう?明日、昔聞いた伝説を、お話します」

 翌日、アゲハは依頼の報告書を手に持ち、偏狭の村から江戸へと帰ってきた。江戸の賑やかな雰囲気を見ると、アゲハはやっと帰ってきた、という気持ちになれるのだった。

竜蛇を退治した後、アゲハは巫女の勧めですぐに休んでいた。そして朝、朝食を村の茶屋でとっている時に、竜蛇についての事を聞かされた。

その竜蛇は、もののけとなる前、近くの神社で神として祭られていたらしい。竜蛇は実りの神であり、秋になると近隣のたくさんの村で収穫の祭りが開かれ、竜蛇は毎日にように人々から賑やかな祭りや、奉納の品々を授かっていた。特に踊りの奉納は、何よりも竜蛇の力になっていたのだ。

ところが時代が進むにつれて人々は惰性になり、やがては竜蛇の社にも、人は訪ねてこなくなった。社は、今までつかえていた巫女がいなくなると、たちまちのうちに荒れ放題になり、神として自分を頼ってきた人間は、誰一人として社にはこない。しまいには、そこを取り壊して、新しい家を建てるとまで言い出した、というのだ。それらの人間の勝手な振る舞いに怒りを感じた竜蛇であったが、そのあと法師と踊り子によって封じられてしまう。

―どうして、あいつは踊りで大人しくなったのかな?

アゲハは自分で巫女に言った言葉を頭の中に浮かべた。

―おそらくそれは、竜蛇が踊りというひとつの戦闘手段に何らかの強い思いを持っていたのではないかと思います。

と、巫女は答えたのだ。

古来より、人は刀を振るって戦う事が多かった。竜蛇は、そんな乱暴なやり方をする人間に対して、反発的な思いを持っていただろう。しかし、踊りはメッセージを伝えるが、決して相手を傷つける事がない。元々は人間を護って来た竜蛇にとって、それは人間に望んだ、ひとつの形だったのかもしれない。

普通の人間なら、相手を傷つける武器を持って、戦いに挑むだろう。しかし、戦いの中で真剣な心から作られた踊りは、竜蛇の心を、安らげる事が出来たのかもしれない。アゲハは人間だから、竜蛇の気持ちはよくわからない。だが、命をかけた場所でのアゲハの踊り、そしてかつての舞師の踊りは、竜蛇の心を打つものがあったのかもしれない。

「今日はいい依頼あるかなー?」

 アゲハは今日もギルドへ依頼を探しに来ていた。様々な依頼の張り紙に目を通しながら、もっと強くなって、今度は臆すことなく戦いに望みたいと、感じていたのだった。

(終)



■当サイト1000ヒットを、アゲハPL様が踏みましたので、そのキリリクとして書いた短編です。アゲハちゃんがジャパンで活動しているので、舞台もジャパンにしたのですが、現時点で私のPCはジャパンへ行った事がない為、かなり空想で書いた所があります(汗)

コミカルに書いたつもりでしたが、書いている内に結構真面目になってきて、コミカルというよりも、シリアスの中にコミカルがある、という形になりました。舞のところについては、ちょっと調べただけなので、詳しい方から見たら、おかしいと思う面があるかもしれません(汗)

アゲハちゃんの性格が、かなりつかみ易かったので、このあたりは比較的楽しく描写しました。カマ巫女とのやりとりなんかは、結構好きですね。このカマ巫女、書いているうちに情が出てきましたので、また出してみたいです(爆)もしかしたら、別の国で書くときも出てくるかもしれません(ぇ)